Vol.3 「あの角を曲がったところで」

あの角を曲がったところで、美味しいケーキ屋さんを見付けたんだ。

「え?え?え?」

ほら、行こうよなつみ。

「ちょ、ちょっとダーリン、いつになく強引だよぉ」

そうかもしれない。僕が手を引っ張って、なつみがそれに引きずられてついて来る…そんな事、今まで滅多に無かったね。
でも、どうしても僕はなつみと一緒に行きたかったんだ。今すぐね。

「どうしたの?本当に今日のダーリン、珍しいね」

そうかな?
あ、でも確かに、なつみと出逢った頃以降は、こんな気持ちになった事なんて無かったかもね。

「どういう事?」

随分忘れていたんだ、こんな気持ち。
年を重ねるごとにどんどん僕は忙しくなっていっちゃって、だから近所の街並みの散策なんて、もうやらなくなってしまった。
でもね、今日は久しぶりに暇ができたから。あんまり空が高くて気持ちいいから、久しぶりに散策してみたんだ。

「…それで?」

うん。そうしたら、ずっと忘れていた感覚が、胸の中にすうっと甦って来たんだ。
不思議だよね。自分の住んでいる近所なのに、角一つ曲がっただけで見知らぬ場所に出るんだよ。往く道を一つ変えれば、もうそこは知らない世界なんだ。
そこには入った事無い店がたくさんあって、知らない人がたくさん居て…。

「…」

ねぇなつみ、こう考えた事は無いかな?
高いところから眺める景色には、必ずと言っていい程、たくさんの家々が見える。
その一つ一つには、色々な人が住んでいる。
僕たちは今、「人生」っていう名前のドラマを生きているけど、その人たちそれぞれにもドラマがあって、その無数のドラマが、時に交錯し、時に絡まり合いながら織り重ねられている…。
そう考えると、凄い事だよね。こんな小さな街だけで、一体いくつのドラマがあるんだろうね?

「ダーリン…」

あ、ご、ごめんねなつみ。つまんなかったよね、こんな話して。
そうだよね、他人の人生なんてどうでもいいよね。
で、でもそこの角曲がったところにあるケーキ屋が美味しいのは本当だから、ほら。そんな悲しそうな顔しないで、ね。

「違うよ」

え?

「違うよ。ダーリン、なんにも分かってないんだね?」

な、なつみ?

「バカダーリン。どうしてなつみが泣きそうな顔してるのか、そんな事も分からないの?」

え、そ、それは僕がつまんない話を延々しちゃったからで…。

「だから、それが違うの。ダーリンの話、とっても面白かったよ。なつみも、その通りだと思う。この世界にどれだけの人間たちがいるか、そんな事を考えるだけでわくわくしちゃうよね」

え?あ、う、うん。
で、でもだったらなんで、そんな…。

「ばかダーリン」

そ、そんな事言われても…。

「じゃあ、ばかダーリンに質問です。質問その1、なつみはダーリンの何ですか?」

え、えと、その…。
こ、恋人、かな?

「はい正解です。それでは質問その2、ダーリンは、なつみの何ですか?」

こ、恋人。

「せいかーい。じゃあ、質問その3だよ。ダーリンは今日何をしてきたから、そんな話をなつみにしてくれる気になったのかな?」

近所の散策。のんびりと。

「う〜…それじゃ、質問その4。ダーリンはそれを、誰と行ったんですか?」

それはもちろん、独りで…って、あ。

「…分かった?なつみがどうして悲しいのか」

うん。やっと分かったよ。

どうして僕は、「なつみと一緒に行こう」って思わなかったんだろう。
僕が子供の頃は、まだ時間の流れる速度もゆっくりとした物で、だから散策をするのも何でも無い事だった。
だけどいつしか時代は、凄い勢いで流れ始めた。そして気付けば、僕の周りからそんな事につきあってくれる人はいなくなっていた。
だから僕の中では、近所の散策は独りでするものだっていう決まり事が、勝手に出来上がっていたんだ。
そしていつしか、僕自身もそんな事をしなくなって…。

「ねぇダーリン。独りでやって楽しい事なら、なつみと一緒ならきっともっと楽しいよ。なつみも、ダーリンがそれだけ楽しい事には興味あるから」

…うん。
ごめんね、なつみ。
気が付かなくて。

「ううん、もういいよ。でもね、今度は…」

うん、今度は…。



『一緒に行こうね』


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