|
想像していたのと違って、風がまったくと言って良いほど吹いてないのは、とてもありがたかった。 季節はもうすっかり冬。あれだけ暑かった夏をたったの3ヶ月で忘れてしまえるんだから、日本人ってつくづく幸せな民族だと思う。 そんな事を言っている僕も、そのいわゆる「ヘイキンテキなニホンジン」ってやつな訳で…。 「どうしたの?ダーリン。なんだかしみじみしちゃって」 あ、なつみ? ううん、なんでもないよ。 「そう…。なら、いいんだけど」 僕はそう呟く彼女の方に視線を送った。 いつもなら、まるで太陽のような笑顔にいつも包まれている彼女だけど、その横顔はやっぱり今日だけはなんとなく寂しそうで。 …なつみ、やっぱり気になるの? 「え、え、何が?」 去年の事。 「そ、そんな事、無い…」 そうかい?僕には、そうは見えないけど。 ねぇなつみ、無理しはしないで欲しいな。 何のために、僕という存在が今日、君の横に立っていると思っているんだい? 「うん…」 身体の寒さは、その君のロングコートで防げるかもしれないけど。心の寒さは、それじゃ防げないんだよ。 でも、僕ならそれを防いであげる事ができる。 ううん、正確には防げないかもしれないけど…冷えた君の心を、もう一回温めてあげる事はできるんだ。 「ダーリン、ありがとう…」 いいよ、お礼なんて。 それにね。最後に思い出と決着を付けるのは、君の仕事なんだから。 僕は手助けはできても、最後の最後では何もできない、無力な存在なんだよ。 だから…お礼なんていい。 「ダーリン、そんな事無いよっ!なつみはダーリンがいてくれるだけで、嬉しい」 そっか。 それじゃ僕の方こそありがとう、なつみ。 「えっ?」 僕も、なつみがいてくれるだけで、嬉しいから…。 「ダーリン…」 なつみ…ほら、時間だよ。 もう公園も目の前だ。 行っておいで。ここで、待っていてあげるから。 「うん…分かったよ。じゃあ、行って来る」 ああ。行っておいで。 「ねぇ、ダーリン?一つだけ訊いてもいい?」 なんだい? 「恐く、ないの?もしなつみが…弱かったら、その…」 …そうだね。恐くない、って言ったら嘘になるかな。 本当はね、行かせたく無いとも思ってたりする。 でもさ、信じさせて欲しいな。君の事を。 そして、君を信じたいと思っている僕の心を…。 「ダーリン…」 それにね、昔から決まっているんだよ。 「えっ?」 雪の降る聖夜に、願い事は叶うって…。 「あっ…」 空を見上げれば、きらきらと輝く真っ白な粒。 静かな煌めきは、鉄とコンクリートで出来たこの砂漠にも滑らかに降り注いで、この静かな夜に神秘の風を吹かせる。 ホワイト・クリスマス。 言葉としては知っていて、憧れてはいても、一度も経験した事の無いその幻想的な光景は、深く深く僕らの胸に沈み込んで行く。 もう、大丈夫だった。 このファンタジーを共有できたんだから…僕となつみは。 「じゃあダーリン、行って来るね」 一言だけ言うと、なつみはしっかりと大地を踏みしめて、ゆっくりだけど確実に前へと進んで行った。 行ってらっしゃい、なつみ。 帰って来たら、とびきりのクリスマスパーティーをしようね。 久しぶりに、ケーキ焼いたんだよ。 シャンパンも、奮発して凄く良いのを買ってあるんだ。 だから…。 去年のふたりは、「ヘイキンテキなニホンジン」じゃ無かった。 ずっと楽しみにしていたクリスマスイブの当日に、付き合ってた男に約束をすっぽかされ、失恋したなつみ。 一緒に過ごす相手もいなくて、寂しさのあまり25日の0時を過ぎるまで外に出られなかった、僕。 偶然この公園で出逢った時の、君の涙を必死に堪えていた顔…忘れられない。 でも、今年は違う。 寂しい心と心が巡り会って、そして紡いだ気持ちがあるんだから…。 一緒に夢を見ようね、っ誓い合ったんだから…。 やっぱり僕は、「ヘイキンテキなニホンジン」になりたいよ。 クリスマスイブの夜に2人で逢って、そして一緒に一夜を過ごす、そんな平均的な日本人にさ。 だから、なつみ…。 「ダーリンっ!ただいまっ!!」 おかえり、なつみ。 早かったね、随分。 「うん。だって、迷う余地なんか無かったもん。なつみは、ダーリンが好き。それだけだよっ!」 なつみ…。 「雪の降る聖夜に、願い事は叶うんだよね、ダーリン?」 …え、う、うん。 「だったらなつみのお願い、叶うかな」 え?何だい? 「なつみ、今日はず〜〜〜〜っと、ダーリンを独り占めしていたい。今晩はダーリンの事だけ考えていたい。ねぇ…ダメ、かな?」 少し心細げな表情を浮かべて訊ねて来るなつみの身体を、僕はそっと両腕で抱き締めた。 こんな質問、答えなんかいらないから。 「あっ…」 僕こそ、今日はず〜〜〜〜っとなつみを独り占めするよ。今晩はなつみの事だけ考えているよ。 だから…。 「……」 ふたつ重なったシルエットを包むように、雪は次々と夜空から舞い降り、そっと街を包み込んで行く。 きっとこの雪は、世界のどこかで、同じようにどこかの恋人たちを祝福しているんだろう。 この日、東京は実に17年ぶりのホワイト・クリスマスを迎えた。 それは、雪の白さに包まれた街の、その片隅で紡がれた…小さな小さな、エピソードだった。 |