Vol.2 「雪の降る聖夜に」

想像していたのと違って、風がまったくと言って良いほど吹いてないのは、とてもありがたかった。
季節はもうすっかり冬。あれだけ暑かった夏をたったの3ヶ月で忘れてしまえるんだから、日本人ってつくづく幸せな民族だと思う。
そんな事を言っている僕も、そのいわゆる「ヘイキンテキなニホンジン」ってやつな訳で…。

「どうしたの?ダーリン。なんだかしみじみしちゃって」

あ、なつみ?
ううん、なんでもないよ。

「そう…。なら、いいんだけど」

僕はそう呟く彼女の方に視線を送った。
いつもなら、まるで太陽のような笑顔にいつも包まれている彼女だけど、その横顔はやっぱり今日だけはなんとなく寂しそうで。

…なつみ、やっぱり気になるの?

「え、え、何が?」

去年の事。

「そ、そんな事、無い…」

そうかい?僕には、そうは見えないけど。
ねぇなつみ、無理しはしないで欲しいな。
何のために、僕という存在が今日、君の横に立っていると思っているんだい?

「うん…」

身体の寒さは、その君のロングコートで防げるかもしれないけど。心の寒さは、それじゃ防げないんだよ。
でも、僕ならそれを防いであげる事ができる。
ううん、正確には防げないかもしれないけど…冷えた君の心を、もう一回温めてあげる事はできるんだ。

「ダーリン、ありがとう…」

いいよ、お礼なんて。
それにね。最後に思い出と決着を付けるのは、君の仕事なんだから。
僕は手助けはできても、最後の最後では何もできない、無力な存在なんだよ。
だから…お礼なんていい。

「ダーリン、そんな事無いよっ!なつみはダーリンがいてくれるだけで、嬉しい」

そっか。
それじゃ僕の方こそありがとう、なつみ。

「えっ?」

僕も、なつみがいてくれるだけで、嬉しいから…。

「ダーリン…」

なつみ…ほら、時間だよ。
もう公園も目の前だ。
行っておいで。ここで、待っていてあげるから。

「うん…分かったよ。じゃあ、行って来る」

ああ。行っておいで。

「ねぇ、ダーリン?一つだけ訊いてもいい?」

なんだい?

「恐く、ないの?もしなつみが…弱かったら、その…」

…そうだね。恐くない、って言ったら嘘になるかな。
本当はね、行かせたく無いとも思ってたりする。
でもさ、信じさせて欲しいな。君の事を。
そして、君を信じたいと思っている僕の心を…。

「ダーリン…」

それにね、昔から決まっているんだよ。

「えっ?」

雪の降る聖夜に、願い事は叶うって…。

「あっ…」

空を見上げれば、きらきらと輝く真っ白な粒。
静かな煌めきは、鉄とコンクリートで出来たこの砂漠にも滑らかに降り注いで、この静かな夜に神秘の風を吹かせる。
ホワイト・クリスマス。
言葉としては知っていて、憧れてはいても、一度も経験した事の無いその幻想的な光景は、深く深く僕らの胸に沈み込んで行く。
もう、大丈夫だった。
このファンタジーを共有できたんだから…僕となつみは。

「じゃあダーリン、行って来るね」

一言だけ言うと、なつみはしっかりと大地を踏みしめて、ゆっくりだけど確実に前へと進んで行った。
行ってらっしゃい、なつみ。
帰って来たら、とびきりのクリスマスパーティーをしようね。
久しぶりに、ケーキ焼いたんだよ。
シャンパンも、奮発して凄く良いのを買ってあるんだ。
だから…。

去年のふたりは、「ヘイキンテキなニホンジン」じゃ無かった。
ずっと楽しみにしていたクリスマスイブの当日に、付き合ってた男に約束をすっぽかされ、失恋したなつみ。
一緒に過ごす相手もいなくて、寂しさのあまり25日の0時を過ぎるまで外に出られなかった、僕。
偶然この公園で出逢った時の、君の涙を必死に堪えていた顔…忘れられない。

でも、今年は違う。
寂しい心と心が巡り会って、そして紡いだ気持ちがあるんだから…。
一緒に夢を見ようね、っ誓い合ったんだから…。

やっぱり僕は、「ヘイキンテキなニホンジン」になりたいよ。
クリスマスイブの夜に2人で逢って、そして一緒に一夜を過ごす、そんな平均的な日本人にさ。
だから、なつみ…。

「ダーリンっ!ただいまっ!!」

おかえり、なつみ。
早かったね、随分。

「うん。だって、迷う余地なんか無かったもん。なつみは、ダーリンが好き。それだけだよっ!」

なつみ…。

「雪の降る聖夜に、願い事は叶うんだよね、ダーリン?」

…え、う、うん。

「だったらなつみのお願い、叶うかな」

え?何だい?

「なつみ、今日はず〜〜〜〜っと、ダーリンを独り占めしていたい。今晩はダーリンの事だけ考えていたい。ねぇ…ダメ、かな?」

少し心細げな表情を浮かべて訊ねて来るなつみの身体を、僕はそっと両腕で抱き締めた。
こんな質問、答えなんかいらないから。

「あっ…」

僕こそ、今日はず〜〜〜〜っとなつみを独り占めするよ。今晩はなつみの事だけ考えているよ。
だから…。

「……」

ふたつ重なったシルエットを包むように、雪は次々と夜空から舞い降り、そっと街を包み込んで行く。
きっとこの雪は、世界のどこかで、同じようにどこかの恋人たちを祝福しているんだろう。

この日、東京は実に17年ぶりのホワイト・クリスマスを迎えた。
それは、雪の白さに包まれた街の、その片隅で紡がれた…小さな小さな、エピソードだった。


[←Vol.1]  [戻る]  [Vol.3→]